2024年10月16日公開
中国企業法務の軌跡(4)
J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人
1. 中国法の一丁目一番地
2000年前後に中国で合弁会社を作る、生産事業を行う、原材料は中国で仕入れて製品は中国で販売する、という地産地消投資事業の検討が始まりました。企業法務の世界で言うと川上から川下まで全て中国法の規制を受ける事業になります。法務部に課せられたミッションは、中国事業に関係する法令を調査すること、リーガルリスクを洗い出し対応策を検討すること、合弁契約を締結すること、中国国内の弁護士ネットワークを作ることでした。すべてゼロからの出発で同時進行でした。
法務部ですから、まず、中国法とはなんぞや、から始めるしかありませんが、どこから始めればいいのか皆目見当がつきませんでした。中国法は日本法と同じ成文法の国ですから中国法は勉強し易いと思っていましたが、その当時、中国は法律が整備されておらず、いわゆる中国法の体系書は少なかったため、法律事務所や金融機関が主催するセミナーに参加したり、配布される資料や冊子を読んだりして、体系を学ぶよりかは法律実務から勉強を開始しました。完成図が想像できないジグソーパズルを、しかもピースが足りないままパズルを埋めていく作業を続けるようなものでした。しかも足りないピースをほかのパズルから持ってくるような綱渡り。私の中国法一丁目一番地は各論を積み重ねながら全容を探る、いわゆる木を見て森を探るもの。その森は想像以上に深く複雑で全容を見失う危険もありました。それは後になって気づくことですが、法律が整備されていない中国ではやむを得なかったと思えます。今の時代は中国法も整備され、また法律情報の検索もスムーズなので、このようなアナログ的な苦労はしなくてもいいようです。
2. 外国企業常駐代表機構登記管理条例
合弁交渉を開始した当時は今のようなweb会議システムは無く常に対面交渉でした。その結果、お互いが日本と中国を行き来することになりますが、当時、中国から日本へ渡航することは簡単ではなかったので、日本側が中国へ渡航する機会が多く、そのため合弁交渉チームのための中国活動拠点を作ることになりました。まだ合弁会社は設立されておらずその準備行為に限定されていましたので代表事務所を設立することになりました。こういう代表事務所を常駐代表機構といいます(以下、代表事務所といいます)。根拠法は、国務院が1980年に制定した「外国企業常駐代表機構の管理に関する暫定既定」と「対外貿易経済合作部が1995年に制定した外国企業の審査認可及び管理に関する実施細則」です。現在は国務院が2010年に制定した「外国企業常駐代表機構登記管理条例」に集約されています。いずれにしても国務院という日本で言えば内閣に相当する機関が作る法律が規範になります。外国企業を規制する法律を日本の国会に相当する全国人民代表大会で作らず内閣に相当する国務院が作っています。中国の法体系はどうなっているのか混乱しました。日系の商社の駐在員から「習うよりも慣れよ」と言われました。この言葉はその後も中国で仕事をする上での座右の銘になっています。
さて、代表事務所をどこに作るか迷いましたが情報を入手しやすい北京市に作ることにし、登記手続を管轄する北京市工商行政管理局に相談に行くと、北京市には外国企業が借りることができる建物はないと言う。詳しく尋ねると、当時、北京市内では外国企業が借りることができる建物は市政府の許可を受けた建物に限定されており、今はすべて埋まっているため許可は出せないという。全国人民代表大会であろうと国務院であろうと国が作った法律を実施するために地方政府に立法行為を「授権」しています。これを地方性法規といいます。中国では地方性法規まで確認しなければ実務は動かない、ということを学びました。こうやって少しずつジグソーパズルのピースが埋まっていきます。なお、今ではこのような規制はありません。
代表事務所はあくまでも進出の準備、サポート、情報収集などをするための組織で事業活動をすることはできません。事業活動をしませんので企業所得税(日本で言う法人税)を納税する義務はありません。事務所の家賃、人件費、通信費や什器備品のリース料金などのコストは日本から送金されてきます。しかし、中には事業活動ではないかと疑われるような活動をしている代表事務所もあります。そのため中国の税務局は代表事務所に脱税の疑いの目を向けており時々代表事務所の様子を見に来たりします。疑わしいことをしていると代表事務所は様子を見に来た税務局に煙草や酒を渡したりします。いわゆる賄賂です。中国にはこのようにして手にした賄賂を金銭と交換するところがあります。脱税のスパイラルが「社会慣行」として公然になっていたのです。日本人はこういう「社会慣行」に免疫力がなく染まりやすいので、まれに煙草や酒を渡す人がいますが、これは危険な行為です。
代表事務所には情報収集する任務がありますが、このような情報収集行為は2023年7月1日から施行されている「改正反間諜罪」(改正反スパイ法)の疑いをもたれてますから新たな注意が必要です。
3. 登記実務
どこに事務所を作るか僅かな情報網を頼りに調べていると、香港のデベロッパーが建設したビルに許可が下りそうだという情報が入りました。さっそくデベロッパーの総経理(社長)に会ってみるとビルは完成しているので手付金を払い、工商行政管理局に手続の相談をしました。すると許可を出すのは同じデベロッパーが建設している隣のビルだといいます。騙されたと気づき契約を白紙に戻すように交渉しましたが、デベロッパーの会社の秘書は「総経理は香港に戻った。戻りは1か月後だ」と言います。裏を取らなかった私のミスですが取り返さなければなりません。進出の相談をしている大阪の弁護士に電話して北京の弁護士を紹介してもらい、その弁護士が交渉してやっと9割が戻りました。法務部らしくない失敗で本社からお叱りを受けました。
工商行政管理局の担当者はさすがに気の毒と思ったのか、北京市内ではないが北京市が管轄する鎮(日本でいう村)政府には北京市にあるような制限はないと教えてくれました。その鎮は合弁相手の中国企業の工場がありましたので、その工場の事務室の一角を借りることにし、鎮政府の工商行政管理部門で手続きをすると、またして却下されました。代表事務所の住所は合弁会社の子公司(日本でいう子会社)と同じ住所になるが、中国では一つの住所地には一つの会社(代表事務所も同じ)しか登記できないというのが理由でした。ただ、専用のドアと合弁会社との間に仕切りを作り、そのドアの上にAとかBを明記し独立した空間であることが分かれば新たに住所を作ることができるということを教えてもらいました。しかし建物を所有する合弁会社はたいそうな工事になるという理由で反対です。しかし地下の倉庫であれば貸せるという回答でした。そこで地下の倉庫に新しい住所をつくって漸く代表事務所を設立することができました。その倉庫は半地下でしたので窓があって助かりましたが、当然ながら冷暖房装置がなく、夏はサウナ、冬は冷蔵庫のようでした。特に北京の冬の寒さは尋常ではなくジャンパーを2枚重ねて着て仕事をしていました。1年後に市内のビルに空き室ができたので引っ越しましたので助かりました。一つの住所に一つの会社、ドアが二つあって間仕切りがあれば二つの住所に二つの会社ができるという奇妙な対策はルールの適用を避ける屁理屈のようにも思えましたが、こういう奇妙なことを政府も企業も真剣に考えるところに面白さも感じていました。中国の法体系を学ぶという当初の目的とは随分かけ離れてしまいました。
4. 中国国内移動は体力勝負
こうして中国で中国民営企業との合弁契約を進めていくための環境が整いました。法務部としてまず為すべきことは合弁契約に関わる中国法の習得ですが、これについては次回に触れたいと思います。今回は、契約交渉をするための国内移動についてお話します。
現在、中国は交通網が発展しています。特に高速鉄道、高速道路の整備、車社会の発展には目を見張るものがあります。合弁交渉がスタートした2000年初頭、私は北京、上海、南京をたびたび往復移動していました。交渉相手の会社の本社が南京にあったためです。当時、高速鉄道は無く、JRの快速電車並みのスピードしか出せない色褪せた電車で移動していました。経験された方も多いと思います。軟座と硬座に分かれており、軟座は座席指定で少し値段が高く外国人の多くは軟座で移動していました。座席指定といっても今のようにインターネットが普及していなかったためか同じ座席番号のチケットが複数あったり、誰かが勝手に座っていたりすることもありました。こういうときは「交渉」が必要でした。中国ではまず交渉が必要だと痛感しました。膨大な人口、不十分な社会保障、貧富の格差、不十分な法整備という環境の中で生き残る術は「交渉」にあるようです。黙っていては誰も助けてくれない、生き残るため、人より少しでもいい暮らしをするために、常に戦っていなければならず、その第一歩が「交渉」のような気がして、これから始まる契約交渉に緊張感をもって臨むことができました。
高速鉄道ができる前、駅舎は老朽化し駅の前には多くの子供の浮浪者が外国人目指して集まります。高速鉄道ができ駅舎も新しくなり子供の浮浪者はいなくなりました。あの子たちはどうしたのだろうと思っていると、その子たちは戸籍のない子供たちで、こういう子供を使って外国人にお金をせびって集金する組織があったらしく、その組織が一掃されたと教えられました。鉄道以外では、例えば道路に赤ん坊を背負った女性が赤信号で止まっている車に近寄ってお金をせびる光景もよくありましたが、これもそういう組織の集金行為で赤ん坊も戸籍のない子供で背負っている女性とは関係がないと教えられました。このような風景も今は見なくなりました。中国政府が外国に対し見栄えの悪い光景を一掃したのでしょうが、あの子供や女性たちは中国の経済成長の陰で生きているのかもしれません。
鉄道の駅舎には膨大な人が集まります。中国では発射15分前くらいにならないとプラットフォームには入れないので待合エリアは人で溢れます。出稼ぎの農民(農村戸籍の人)は大きな荷物を抱えています。上海や南京では電車の本数も多いので自分が乗る電車を見失わないように気を張っていなければなりません。発車時間が迫ると一斉に人々がプラットフォームめざして走っていきます。移動は体力勝負でした。
<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。